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Lili*cafe

ro * その他ゲーム * 日常のつれづれ

* 再手術へ向けて。

Category日常♪
ちゃお✧*
liccoです✨



この挨拶をまたすることになるとはね🤣w
さてさて、すぐに更新しませんでしたが
実は書きたいことがあって、そのために
現実的な「状況」を待ってました~٩(>ω<*)و
実はですね、去年の今頃
絶賛入院していました。

1ヶ月半もの間、入院していました。




5月末頃、強烈な腹部の痛みに
町医者いって4日ほど自宅待機してたけど
痛みは落ち着くことも無く、痛いまま
立つこともままならなくて。



わたしの自我の声とゆうよりも
体から出た「痛い」と言う悲鳴で
救急車を呼んでもらい、そのまま。
そのまま手術することになった。


救急車の隊員さんが来てくれたとき
わたしの痛がりかたに焦っていた



aの病院かbの病院か。
間違えることが出来ない。




って、緊急性を感じた
救急車の中で
「わからん、、どっちや、、検査もあるんですよ!」
って怒られて🤣(もうわたしは意識朦朧してんのに)

ごめんなさい、、

って、絞り出すように謝罪したのもいまじゃ
いい思い出。出来事を常に俯瞰した自分がいて
不思議な感覚がずっと続きます。
因みに隊員さん、謝った直後
冷静になったみたいで、
「こちらこそ取り乱してごめんなさい」
と謝罪を受けました。



病院に駆け込み
検査するにも、わたしは
全部看護師さん達がいないと
自分が全く動けないから
「痛い痛い」言うマシーン
先生たちも(様々な科の先生だったんだろな)
「原因がわからん、、」
とただならぬ空気感。


それを客観視してました。
不安もあったけど
てか、あったからこそ
あの痛みの中でも
冷静に居ることを心がけた。



どれくらい時間が経ったのか
「水が飲みたいです」
ほんと必要最低限のことだけ
話すわたしが先生にお願いしたら


「もう飲めません。
今から手術始めます。」
流れが遅いと感じる時間の中
時が更に止まったように感じた言葉。



眉間に皺を寄せた先生を見つめて
わたしもすこし、してから
ただ、うなづいた。


本来手術って、事前に
検査したり慎重に意思と話し合って
進めるものだからさ
手術患者って
移管と呼ばれる、全身麻酔するための
酸素供給の管は麻酔打ってもらってから
するもの。意識がない時に体に入って
目が覚めたら抜けてるものなんです。



が!わたしはあの時
状況が悪く、自分の意識があるまま
太い管を飲まなくちゃいけませんでした。
わたし10代の時にさ、胃カメラするか?
ってなった事があって怖すぎて逃げたのよ


まさかこんな形で
やることになるなんて思わなかったわ笑


3回吐いて。ほんと、無理すぎて。
先生から言われた
「これ飲まないと手術できません。頑張って」
とゆう
手術出来ない。

の言葉で馬力が出た。
生かそうとする体と力だなあ
って今なら思うよ~


あの瞬間から何となくわかってたけど
助かる術は他に残ってないって思ったんよね



それから暫くして麻酔科の先生に
肩をポンポンっと叩かれて
「ここまでよぉがんばった!あとは任しとき!」
って力強い言葉に安心して意識を手放しました



目が覚めた時は
ICUにいて。あの時のことは
また別口で書きたいと思うほど
色んな経験したけど


まだ管は入ったまま
手も足も動かす力も残ってない。
息をするためだけに生きてる
そんな感覚の中先生がきて、
わたしにまず、第一声。
「あなた、あと少し遅かったら
間に合いませんでしたよ」


淡々と話してるかのようにも思ったけど
今でこそ思い返すと怒りのようなものを
感じる。助けてくれてありがとうとしか
言えないなあ~💦

何より、、すごい他人事のように
ああ、そうなのか、、しんでたのか
って思ってた。



管が入ってるから喋ることも出来ないし
目を見つめ返すしか出来なかった。


色んな感情が混じり過ぎてた。



数日ICUで生きて
やっと病棟へ移動する事になって。
管を抜く瞬間もすごく辛かったぜ🤦‍♀️


病棟あがってすぐにも
色んなことあって、
記事に出来そうだけど
一旦このまま進めるとして。
どうやらわたし、
お腹が開いてるらしい。



手も足も力がないし
自分の力で寝返りも打てない
この状況がどういう事かも
理解できてなかったし
しようと思う力ものこってなかった。



担当のベテラン先生は
わたしにとって、いい意味で相性が良くて
現実を受け入れる気力の残ってないわたしに
グサグサ次から次へと状況を話してくる。
ま、医者やねんから当たり前なんだけど🤣
(もう1人先生がついてて、
その人歳は近くて優しかった🥲💗)
(1番最初に救急で行った時にあった先生!)



今後、お腹を縫います。
それまで、何回か日を変えて
お腹に貼ってるものを変える。
状況が良くなり次第決行。
こんな感じ。
このね、お腹に医療のスポンジを入れるんだけど
くっっそほど痛いの!局所麻酔もっと打ってくれ!
みたいな。



自分に出来ることといえば
深く、深呼吸をし続ける。
これしかないと思った。



余計なことをなにも話さないのに
看護師さん、見かねて手をぎゅっと
握ってくれました。歳が近い人でさ
すごく愛を感じたよ٩(>ω<*)و💗
4日ごとに3回かな。スポンジ交換して
いよいよ、わたしもう無理!これ以上
耐えられん!!ってストレスになった💦
ほんまに痛いのです🥲💦



その後お腹を縫うがついにきて。
痛みと恐怖のストレスもやっと開放される!
ここが踏ん張り時!と励ましていたよ


あとは経過見て、1週間ちょっとくらいかなあ
退院が決まってってワクワクしだした頃に
40度の高熱。まだ抗生物質点滴が外せない。
体だけじゃなく心のストレス、ここ数年
重なりに重なった重たい出来事とかいろんな
思いが爆発して大泣きしたよ。



でもね
ここまでで既に色んなこと端折ってるけど、
看護師さんも、関わってくれた
もう1人の先生も優しくて、患者さんたちにも
更にはリハビリの先生に支えられてやってきた。


最初は立つことから始めてね
3歩あるいたら息切れ
座り込んだら立てない。

どうしていいか分からない。
リハビリの先生
ゆっくり話してくれた。


ICUにいたときから感じてたけど
もっと時間かかるって思ってました。
状況、先生から聞いたよね?
ここまで筋力が落ちるって言うのは、
生命力に全部回したってこと。
もっと多めに自分のことみてあげなきゃ。
ゆっくりでいいから、大丈夫ですからねって。


大好きなリハビリの先生なので
受け入れるのに時間はかからなかった。
大好きでさ、
早く元気になっちゃいたい!
驚かしたい!とかで無理して頑張って
怒られたりもしました。笑



退院の話が決まった直後の高熱。
喜んでただけに絶望に落とされた感覚は
何処に怒りをぶつけていいのか分からなくて
リハビリの先生に大泣きして。頭じゃ
分かってるけど心が追いつかなかった。
冷静に、だけどわたしの
気持ちも性格もわかりはじめてるからか
全部優しく受け止めて言う所は言って下さった。



その結果として1ヶ月半の入院。
体の疲れも
心の疲れも
たくさんの人との関わりの中
少しずつ癒されて行きした💗
患者さんたちほんと優しかった。
外科だったから、年上の人が多くてね
みんな優しかったあ🥲💗



無事に退院した今も、
3ヶ月ごとに外来にいってて
去年のクリスマスには
大好きな看護師さんたちに
クリスマスカードを作って
お渡しししたり💗



しかしこれで終わりじゃなかったのね。
わたし、近々再手術します。
そのための検査がこないだ日をまたいで
行われて、結果まちだったの。
受け取ってから
今までの状況記録しておきたかった。



何故ならふと思い出した
6年ぶりのブログに
自分からエールを貰ったから。



内視鏡の検査がほんと怖くてさ
(管飲んだのもあるけどさ)
その結果から、違う病気出てきたら
どうするよ?!?みたいなもう
色々気がかりだったよ。笑



でも、大事なく
手術に挑める健康な体だった✨
本来の自分の体に戻るための手術となります。
入院きっと長くなる
と先生から話されたから
一筋縄じゃまたいかないのかな。。
と少し不安もあるけど、やっぱり
もっと健康な自分の状態に戻りたい!
だってワクワクする!!!だから
頑張ってきます(≧∀≦)✌🏻✨✨



それとね冬のど真ん中に髪が抜けて
丸坊主にこないだしてきました。
これも初の試み。ほんと、色々ありすぎた。
でもこの色々ある、なんでわたしこんな目に
ばっかあわなあかんの?!って人生のタイミングって
必ずその後良い方向へ向かう合図でもあるって思う。



色々と、すごい丹田に宿されることやってたよ。
全部最後は笑い話にしちゃいたいから
これもまた書こうっと。何よりわたしのために💗



画像色々乗せて昨日投稿したんだけど
スマホからだとサイズなんか変だし
アプリ入れてみてそっからやったら
改行消えてるし使いにくすぎ!


あまりにも見づらい記事になってたから
上げ直ししました✧*
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